ゴシック

カトリック系教会・修道院の建築を始めとする、中世ヨーロッパの豪奢な芸術様式。

まず中世という時代背景から、「ゴシック様式」に於いてはカトリック教団の影響力が強いということ。
もう一つ「ゴシックとはローマンに対する否定的な言葉である」ことを押さえれば、ゴシック様式の幼年期は理解しやすい。

嘗てコンスタンティヌス帝は、キリスト教の持つ求心力を帝国の力に取り込んだ。
以降ローマ教会は、皇帝の庇護を受けながら信仰の拠りどころを守り続けるが、ゲルマン民族の伸張に始まる西ローマ帝国の崩壊で新たな世俗勢力を求める一方、農村に入り込んだ修道会が自給自立化を進める。

その後は東にビザンツ帝国、南にイスラム帝国という脅威が存在し、ヨーロッパ半島の西半分が孤立した時代。半島内部でラテン文化とゲルマン的な風土が混合されていく中で、ローマ=カトリック教会は文化事業の中心的役割を担った。

8世紀、フランク王国への帝位付与で世俗勢力のヒエラルキーが確立し、西欧史は中世の段階に入る。一方、すでに聖権のヒエラルキーであるカトリック教会は各地の荘園経営と喜捨に支えられ、次々に修道院、教会を建築していくが、この頃のイタリア建築におけるアーチ構造の発明が「ロマネスク様式」の展開を生み、アーチが横に並んだ円筒形の大建造物が作られる。
「ゴシック建築」は飽くまでこうした建築技術発展のレール上に現れたものだが、古きよきラテン文化を真善美の正統とした中世原則にあって、新しい(ある意味突飛な)発想は、ローマの原則にたがう野卑なものとして扱われる。

巧みなアーチ構造の交差による力の分散と、バットレスと呼ばれる梁だし構造が、バベルの如き高層化や大きく開いたアーチを実現した。重みを支えることから解放された壁にはステンドグラスが作られ、柱の彫刻も無理矢理嵌め込んだ様な見映えから脱却した、写実的なものに替わった。

やがてペストの流行で農村基盤が崩壊、教会も三教皇並立でヒエラルキーが崩れ、文化の担い手は各国宮廷や都市富裕層に移る。
絵画・彫刻は写実性を増し、聖書の装丁やタペストリーに見られる装飾文化には、豪華で派手なものが現れるようになる。後に題材を宗教的なものから人間的なものの中に採るようになると「ルネサンス」が発生するが、その素地はこうした進歩的な芸術作品群の中に見られる。

ゴシック様式と呼ばれるものの中で、とくに装飾的に変化していったのは服飾の世界であろう。十字軍の遠征と貿易の発達から、ビザンツを始めとする東方文化の影響を受け、周辺領域からも多彩な素材が輸入されるようになり、表現の幅が広がったのだ。
ゴシックスタイルファッションで画期的なのは、裁断技法によって服のフィットを大きくイジったこと。女性にはウエストラインの強調、男性は身体にピッタリとフィットしたものが見られる。また、女性にはスカート・男性にはズボンというスタイルが定着したのもこの様式から。
14〜15世紀には、奇抜さ・豪華さはエスカレートし、金刺繍・レース・肩パッド・とんがり帽子や大きく開いて肌を見せた襟元、様々なディテールを駆使するリッチデザインが生まれた。


cf.美術出版社『カラー版 西洋美術史』

cf.チャネラー『新ファッションビジネス基礎用語辞典』

cf.平凡社『世界史モノ辞典』

パンクロックマジック

リオぐら トップページ

リオインテリジェンス項目索引
クリックするとジャンプします。